元いじめられっこのレーシングドライバーを目指して(LongVer)・・・試作更新版Up – Information Teaching Service 雄飛

元いじめられっこのレーシングドライバーを目指して(LongVer)・・・試作更新版Up

こんばんは、いや、おはようかな?
脇保です。
さて、前回お話した動画ですが、
取り敢えず、何とか見れるものに、
(なったかは別として)
試作版をアップしました。
ちなみに、試作版のアップはこれで、
2度目でして、ちょくちょく、更新しております。
逆に言うと、それだけ突っ込みどころ、
満載というわけですが・・・。
↑の状態から、
幾分修正を加えて、
大分ましになったかと思います。
2015/1/26現在。
まず、この動画は、
僕のモータースポーツライフの、
半生あるいは全てを、
描いています。
走る意味の根源、つまり動機、
そして、走り続けた意味、要するに覚悟、
そして、その顛末、というか、
予想外のBadEndで終わった現実。
それも、語っています。
しかし、それでも諦めずに、
無理を押して、
がむしゃらに、ひたすらに、
猛進した結果、
僕は二つの子供のころからの、
ささやかな夢を、
手に入れていた。
そして、夢はまだまだ、膨らんで行き、
僕の人生は、ゆっくりと、
しかし確実に加速していく。
そういう流れの動画です。
勿論、現在進行形での、
僕の現実です。

勿論、軽い種類の動画ではないですし、
ちょっと、へヴィーかもしれません。
最後は、現在進行形での、
ハッピーエンドで終わるわけですが。
僕自身、この動画を通して、
自分のことながら、
本当に考えさせられた。
これで正しかったのか?
何が間違っていたのか?
それとも、
これも、運命という、
神のお導きだったのか?
僕は、神というものを、
強く信じる。
僕は13歳で、走馬灯を見た。
それが最初で最後の。
そして、26歳で、
死を予感させる予知夢を見、
その年に、実際死に掛けた。
死んでおかしくはない状態だった。
実際、死を覚悟していた。
それでも、
奇跡的に、助かった。
必死に治療をして、助けてくれた人がいたから。
その後も、何度か死に掛けることはあった。
その度に、
幸か不幸か、助かった。
これも、
今振り返ると、
運命なのかもしれない。
そう、思う。
僕が、この人生を戦い切った時、
どんな、最期を迎えるのか、
どんな、想いで、向こうに行くのか、
若干興味はあるが・・・。
神さまは、僕を、
多分、そう簡単には、
死なせてはくれないだろう。
今は、目的に向かって、
夢に向かって、
全力で、死力を尽くして、
邁進するのみ。
それが、僕が、
この世に生を受けて、
果たさなくてはいけない、
役割だと、思うから。
それでは、これ位で。

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